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写真: 12.02.08.庚申塔(練馬区貫井)

リアルタイムあっぷ済「南鳥居」 http://photozou.jp/photo/show/650854/135294275



mixiアルバム「武蔵野稲荷神社 (練馬区栄町)」コピペ――
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000059683007&owner_id=32815602

2012年05月16日 21:58
●12.05.16.――
御祭神、宇迦之御魂神、月日十天上大神、弥栄天神。
鎮座年代不詳。
現在 本殿の建っている小高い塚は、瓢箪塚あるいは割塚(後が二個に割れているところから)とも言われた。
文明9(1477)年、江古田・沼袋の戦で、太田道灌公によって滅ぼされた豊島軍の死者を葬った豊島氏の塚との言い伝えもある。古い塚であることは確かで、その守りとして稲荷が祀られたと考えられている。塚には白狐が十数匹も棲んでいたので白狐塚とも言った。
ある時、死んだ子狐を埋めて供養し、幼児がよく育つようにと祈ったのが子守塚だと言う。

明治、大正から昭和と、商家、歌舞伎役者、馬主、事業家等の信仰を集め、平成となった現在でも除災招福、病気平癒、商売繁昌の祈願が多いようだ。
弥栄天神は京都北野天満宮より勧請されたものである。
境内建造物は、大正7(1918)年建築の祭儀殿を除いて、昭和50年から5ヶ年計画で、本殿、拝殿、鳥居、随神門と新築整備されたもの。その際、塚の後の割れている所は、本殿整備のため埋め戻された。小ぶりながら立派なもので、散策するには非常によい神社である。
手水舎は大黒が臼造りをしている珍しい作品である。
緑におおわれた境内は、手入れがよく行き届き、気持ちがイイ。
参道はサクラ、イチョウなどの落葉樹がトンネルのように茂り、春は花、秋は紅葉で彩られる。
なお、昔は「三の稲荷」とも言って、三の日の縁日が大変な人出で賑わったが、今は行われていない。



※大戦による混乱と主宰者の死去に伴い、社殿も荒れ果ててしまったが、日の本神誠講がこれを引き継いだ。
日の本神誠講は天理教→ほんみち→天理三輪講→天理神之口明場所の系譜に連なる教団。日の本神誠講の初代教主・岡本ツエは東十条を拠点に衆生救済を行っていたが、昭和27(1952)年、当地に本部を移した。
昭和43(1968)年、日の本神誠講本部の一部を武蔵野稲荷神社が無償で借り受け、神社本庁所属の宗教法人として認可を受けた。昭和50(1975)年から境内の整備を進め、本殿・拝殿・随神門を新築。

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