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木津川口遠見番所跡(大阪市大正区)
19.04.10.
(大正区HP)木津川は大坂の経済を支える大動脈として諸国の船の出入りで賑わいました。当地は、昔、「姫(ひめ)島」と呼ばれておりましたが、義民として名高い中村(木津)勘助が、慶長15年(1610年)に豊臣家のために軍船係船所の建設や船着場の整備等を行い、その功により「勘助島(かんすけじま)」と名付けられました。
江戸時代になって、幕府は宝永5年(1708年)に「木津川口遠見番所」を現在地に設けました。また、西方には幕府の官船等を収容する「御船蔵(おふなぐら)」(岩崎橋公園附近)がありました。
大阪の島と言われた当地と都心をつなぐルートとして、大正4年(1915年)市電開通とともに架けられた大正橋は、当時わが国最長のアーチ橋で、当区名の由来ともなっております。新橋が昭和49年に完成、下流側の高欄には、ベートーベンの交響曲第9番「歓喜の歌」の楽譜がデザインされています。
なお、橋の東側にある「安政津波遭難者供養碑(あんせいつなみそうなんしゃくようひ)」は、安政元年(1854年)に木津川一帯を襲った安政の大津波の惨状を述べるとともに、最後に「後人の心得・・・願わくば心あらん人、年々文字読み安きよう墨を入れ給うべし」と記しており、大阪人の心情を表しています。
大坂冬の陣 木津川口の戦い→ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%B4%A5%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(1614%E5%B9%B4)
巡回マップ→ https://drive.google.com/open?id=1KlRnw6KZ-A5BGVbVBAMR6aV9e_vo3FKG&usp=sharing
アルバム: 大阪府1/摂津国
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