2019_0623_093248 岸里玉出駅
なんばから複々線で来た高野線と南海本線ですが、ここで東側2線を使う高野線が急カーブで東に逸れていきます。
一方、前方に見える岸里玉出駅の右端には隠れるように小さなホームがあり、ここから汐見橋に向かう
汐見橋支線が西に出て行ってます。
また南海本線自体はここから先、独自に複々線になっています。
なんか不自然さの目立つ駅ですが、嘗ては高野線は高架でまっすぐ汐見橋支線とつながっていて
南海本線は複々線を独占使用していた、基本はここで南海本線と高野線は立体交差していて
南海本線の東側2線から別れ、左にカーブしながら坂を上って高野線に乗り移る線があった、と聞けば
今の不自然な姿になる前は合理的だったことが理解できます。
アルバム: ◎こ)交通機関・南海本線
タグ: きしのさとたまでえき 岸里玉出駅 南海
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コメント (7)
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小さいころ堺(高野線)の親戚の家に行くとき、難波から乗って乗り換えせずだったような気がします。難波から高野線へ行く電車はあったのかな。
もう一つ憶えてるのは、難波駅近くで電車から大阪球場が見えたことです。(そのころからアンチ巨人で、南海の野村のファンでした)2019年7月6日 21:43 symrioz (0)
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さがみこさん
☆ありがとうございます。2019年7月6日 22:18 キューチャン (36)
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中古のふさん
☆ありがとうございます。2019年7月6日 22:19 キューチャン (36)
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kameさん
☆ありがとうございます。2019年7月6日 22:19 キューチャン (36)
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SuzumeExpさん
☆ありがとうございます。2019年7月6日 22:19 キューチャン (36)
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symriozさん
☆とコメントありがとうございます。
symriozさんおよそ100歳以下でいらっしゃれば、記憶、全く正しいです。
大正14年に南海と合併するまで今の汐見橋線〜高野線は大阪高野鉄道という別会社だったようです。合併直後の大正15年には連絡線が作られ昭和4年には高野線の
電車は全て難波発着に切り替えられたようですよ。
今は宅地化が進んだ高野線に対して片面は海の南海本線の方がお客も列車も少ないくらいですが,当時は高野線の方がずっと少なく南海本線の一部列車も東側の2線に割り振られていたそうです。
駅横の一等地に難波球場、ありましたよね。ウチの弟、南海に勤めてるんですが
「9人で笑わしてるよりパークス建てた方が儲かるみたいやでぇ〜」と言ってました・・・。2019年7月6日 23:04 キューチャン (36)
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sony さん
☆ありがとうございます。2019年7月17日 20:20 キューチャン (36)
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