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2018_0917_135320 田辺朔郎博士像

写真: 2018_0917_135320 田辺朔郎博士像

写真: 2018_0917_135643 インクラインの軌道 写真: 2018_0917_134530 疎水分流・蹴上浄水場への水路

琵琶湖疎水工事の陣頭指揮を執った田辺朔郎博士の像です。
東京遷都で衰退していた京都の産業の復興を狙い、当時の北垣国道知事が江戸時代から夢物語として語られていた琵琶湖疎水を計画し実現に向けて動き始めました。
この工事の主任技術者として工部大学校(今の東京大学工学部)を卒業したばかりの田辺朔郎を招いています。
田辺は学生の間に琵琶湖疎水の構想があることを知り、卒論のテーマとしてこれをとりあげ京都に調査へ赴いて
「琵琶湖疏水工事計画」を提出しました。この論文は英国でも発表され、イギリスの土木学会賞までとってしまうほどの出来栄えでした。そうしたことから工部大学校学長の推薦で京都府職員に招かれています。
弱冠21歳でいきなり世紀の大工事の陣頭指揮ということで本人の高い能力もさることながら
学校でも技術・理論だけでなく即戦力となり得るようなかなり実践的な教育もされていたのでしょうね。
大学校という名前の通り、当時は学生は給料をもらって学び、その代わり卒業後は7年間の公共事業に奉職することになっていました。

7年間の歳月をかけて遂に琵琶湖疎水がめでたく開通、この年、事業全体のディレクターで田辺の大きな後ろ盾ともなった北垣知事の娘さんと結婚します。そして東京大学からドクターの称号を受けました。
このあたりの話はちょっとドラマになりそうですね。銅像でもすっとしたイケメンですしね。

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