林光院・鶯宿梅6
鶯宿梅の名前は、平安時代の逸話に由来します。林光院が西の京の旧・紀貫之屋敷にあった頃、村上天皇が梅を大層気に入られ御所に移されました。そのときに紀貫之の娘が詠んだ歌「勅なればいともかしこし 鶯の宿はと問はば如何こたえん」により鶯宿梅と言われるそうです。
アルバム: 日々是好日
タグ: 相国寺
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コメント (4)
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与謝野晶子の歌を思い起こしましたが、女性はいつの時代にあっても強い(権力の前にひれ伏さない) … という理解でよろしいでしょうか? (^^;
2018年3月13日 11:21 マンドリニストQ (4)
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マンQさん、私の解釈は少し違います。農民「天子様から直々に有難や〜」、大阪の商人「天皇はんの我儘もかなわんなぁ・・」、そして京都人「有難おすけど鶯さんになんと答えたらよろしおすやろ・・」 絶妙な返しを歌で出来る京都人はやっぱりすごい!
2018年3月13日 13:47 kame (11)
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当意即妙に歌を詠めたら良いですよね...。
江戸人だったらどうするかしら...「おう、持って行きやがれ、べらぼうめ!」2018年3月13日 14:01 ふみ (8)
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ふみさん、ハハハ、さすが〜江戸っ子ですね〜 実家が大阪の商家なので商売人のフレーズはすらすら出てくるのですが お江戸の事情は分からず・・今後も江戸担当、よろしくお願いします!
2018年3月13日 16:07 kame (11)
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